本事件は、サイコパス「自殺型」連続殺人鬼の吉國一己が、崎谷健次郎を実行犯にして、私を自殺させ殺そうとした事件。私が自殺せず、事件を暴露することで、崎谷健次郎を追い詰めるシナリオです。吉國一己の人間性が良く表れた手口だと思います。崎谷健次郎は長年「DV精神疾患」を抱えていますが、これも吉國一己からDVを受けた結果。吉國一己が「DV精神疾患」になったのは、父親の激しいDVを受けて育ったためです。DV精神疾患の怖いところは、誰かのDVを受けることで「発症」してしまい、更には、「発症」した本人が、自分が誰かにDVをしている自覚が無いことです。
私は、2019年の実名告発の際に、崎谷健次郎は吉國一己からDVを受けていると書いていましたが、崎谷健次郎本人は自分があれだけの精神的DVを受けながら、DVに遭っている自覚が全く無かったようです。吉國一己は父親からのDVの被害は自覚があっても、自分が崎谷健次郎に対して行っている事がDVだとは自覚していない。DV精神疾患に詳しい方々なら私の言っている事が解って下さると思いますが、明らかな「暴力」で無い場合、相手の心をわざと痛め付けるような「精神的なDV」の場合は、DVの加害者も、DVの被害者も、それぞれに自覚がなく、DV被害を受けていた人間が、他者に対し、新たなDV加害者になって行ってしまいます。
私は、吉國一己以外にも、親の激しい暴力を受けて育った人と交流があったので、DVがなぜ起きるのか不思議に思って理由を考えていました。崎谷健次郎と吉國一己のケースを公開する理由は、こうしたDV関係が今の日本社会では頻度高く起きているからです。私は、結局、この二人からDVを受けてきた被害者ですが、吉國一己の方は、高校で女性教師を自殺させた経験から、「殺人鬼」になってしまったケースでしょう。もちろん、相手を自殺させるので、半永久的に警察には捕まりませんので、何人殺しても罪には問われません。自殺誘導は、実行犯にやらせますし、本当の完全犯罪です。私がこうした発言をすれば、名誉棄損で訴えられる内容です。
2019年の際は、ここまでは発言出来ませんでしたが、吉國では無く、崎谷から名誉棄損で訴えられました。もちろん、内容は、暴力団に関与云々の一文でしたが。既に、ストーカー嫌疑については、検察で私の無実は証明されましたし、今後、吉國一己が私を刑事や民事で訴えれば、崎谷健次郎の事務所に吉國一己がいることも、崎谷健次郎ストーカー捏造被害事件に関与していた事も、白日の下に晒されるでしょう。
私が実名告発した本当の目的は、吉國一己の危険性を世間に周知し、これ以上の「犠牲者」を出さないよう「対策を取る」ことでした。2020年の芸能人の大量自殺は止められなかったですが、崎谷健次郎が「謝罪しない」=「洗脳が解けてない」のであれば、こうしたブログで周知するしかないと結論します。私は、妄想なんて一言も言いません。実際に、私のいう事が正しいからこそ、私が不起訴です。
韓国発想とDV精神疾患
韓国発想とは、「他人を利用する」「人よりいかに上に立つか」ですが、DV精神疾患では、相手に恋愛感情が生れ、相手が「自分のもの」だという認識が生れたところで、DVスイッチが入ります。崎谷健次郎本人に自覚して欲しいので書きますが、崎谷健次郎の場合は、付き合ったその日に、突然、豹変しました。まるでジキルとハイド。つい1時間程前まで、穏やかに優しかったのが、いきなり命令口調になり、非常に暴力的になりました。私は殴られはしませんでしたが、態度は非常に乱暴になりました。当時は、DV精神疾患の理解が無かったので、「照れている」のかと思いましたが、普通の男性とは、「完全に真逆」の反応。はっきり言って「異常」でした。最後に、帰国する朝、ホテルまで見送りに行きましたが、本当にクソ野郎な態度で酷かったですね。NYで会った時、彼は湯島に住んでいて、運命的な出会いでしたが、余りの「「異常さ」にかなりビックリでした。
それで、今日、この投稿をする理由と目的ですが、DV男は、自分が愛している女性に、自分がDVを繰返し傷付けているという自覚がありません。今回の事件でも、私が不起訴で無実なのを初めから知っていて、警察に突き出し、冤罪を着せました。未だに、一言の謝罪も無い。去年くらいから、本人が直接Youtubeとか動画も出してますが、あれを見れば解る通り、「悪い事をした」という感じは全く無いですよね。普通であれば、Youtubeなんかやれない。散々、ストーカー行為を繰返して、自分の悪事がバレるのを恐れて、相手をストーカーにでっち上げです。ところが、DV精神疾患では、相手を「自分の奴隷」だと思い込んでるので、奴隷を殺したって「何が悪いんだ」という発想。実際に、そういう男性が、自分の家族を全員殺してしまう事件もありますよね。その上で、自分も自殺する。
自分の子供にDVを繰返していた父親が、大人になった子供に拒絶されて、その子供の家で自殺したケースもあります。DV精神疾患の男は、韓国発想に染まってるので、悪い事がバレた場合は、反省して相手に謝罪して罪滅ぼしをするみたいな発想にならない。暴君は最後まで「お偉い君主」であって、「自分の奴隷」には何をしても当然。殺しても当然。「お偉い君主」は決して謝罪しない。それで、ギリギリまで追い詰められると、最後は「自殺」して「自分のプライドは守る」んですね。
日本人とは真逆な精神発想。日本人であれば、悪い事をして、それが発覚したとしても、罪悪感から、謝罪するし、まず許しを請いますよね。それで、相手の心の傷を癒すことを考える。日本人であれば、そうした反省や謝罪の思いを受けて、「許す」し「許せる」。だからこそ、日本人は、悪い事をしたことより、謝らない事の方が卑怯だと思う。
韓国発想には、これが無い。愛する相手は自分の奴隷。自分の思う様に動かなかったのだから懲罰は当然。殺しても悪くない。当然、謝罪する理由が無い。という発想になってしまう。韓国が日本を奴隷だと思っているのとよく似ています。
崎谷健次郎の「心の問題」
私は、事件の真相を説明するに当たり、崎谷健次郎の「心の問題」について本人に知って貰いたくて書いてます。内容的には、本人が余りに酷いので、私が責めているような状況になっていますが、私は崎谷健次郎を責めている訳ではありません。崎谷健次郎が、自分の問題と向き合って、問題を解決して欲しいと思っているだけです。直接、何度か、セッションが必要でしょうし、本人に直接話したかったですが、それが無理なので、公開しているだけです。
韓国発想の崎谷健次郎からすれば、「俺に死んで欲しいのか?」とか「俺が死ねば良いのか?」みたいな発想になっていると思いますが、そういう事ではなく、自分がDV精神疾患を抱えていることを自覚し、愛するとはどういう事か、改めて、きちんと考えて欲しいだけ。
若い頃に、「太陽の傍らで」という曲を書いてた。これは「Slave of Love(愛の奴隷)」という歌詞。人を愛するとは、誰かの奴隷になることでも、誰かを奴隷にすることでも無い。そもそも奴隷という発想で捉えるべき事では無い。自分が愛する=相手の奴隷。相手が自分を愛する=自分の奴隷。30年以上前に、既に、韓国発想になっていて、DV精神疾患になってた証拠の様な楽曲。吉國一己とくっ付いていれば、そうなって当然です。
でも、私は吉國一己ではない。私は多佳子。神様のいたずらと思えるこの名前。吉國は「一」で私は「多」だから。「多=他に喜びを運ぶ人」です。私は日本人で日本発想。あれだけ遣られても、私は崎谷健次郎を愛してますよ。崎谷との出会いで「愛する」とは何かを学んで来たのは一緒です。愛とは、ただ愛すること。支配でも奴隷でも無いのです。
ただ一人の人として、ただ相手のことを大切にすること。相手を幸せにすること。相手を生かすこと。そのために自分がどう生きるかでしょう。それを、心で、学んで欲しい。
私は、今回の事件を通じて、崎谷健次郎と私が陥ったような異常な苦しみを、他の人々は回避出来るようにしたいだけです。
吉國は殺したいでしょうが、私は生きる道を示しているつもり。
私は奴隷は必要ない。支配者も要らない。
本当の愛とは、お互いに平等に与えあうものだと思う。
だから、崎谷健次郎とは、和解したい。