私の30年ストーカー被害について

私はストーカーではありません。検察でも不起訴です。逮捕直後のテレビ報道などで、今も、多くの方々に誤解されておりますが、友人、知人、前職の同僚などにも完全に誤解されました。誰一人、ご連絡は頂けず、年賀状も全く届かなくなりました。そうした「深刻な誤解」を解くために、私の方の事情についても、少しご説明させて頂きます

30年のストーカー不審電話

実は、私の方にも30年近いストーカー被害がありました。主に、自宅と携帯への不審電話被害ですが、職場近隣の不可解な出没もありました。

不審電話は、ニューヨークのアパート時代から始まり、帰国後も、事件当時で27年間、ずっと続いていました。また、不起訴事件後も、自宅に戻った直後から、ワンギリ電話が再発し、結局、昨年5月に固定電話を撤去するまで続いていました。

「出会った日」に掛かる不審電話

この電話は、毎年、「出会った日」に、必ず、掛かって来ていました。携帯が普及した後は、携帯電話に着信履歴を残す形で掛かったいたため、「この事件の被害者」が掛けていると、非常に長い間、信じてしまいました。

もちろん、「この事件の被害者」ではありません。「この事件の被害者」であれば、「刑事告訴」はしないでしょう。自分も被害があり、違うからこそ、今回の事態になったと思っています。不審電話を掛けていたのは、「出会った日」がいつかを知っている人物であることは言うまでもありません。

手紙とメールの真の理由

結局、私は「不審電話」の「事実確認」のため手紙を書く様になりました。私は、出会った当時、大学での勉強があり、1~2日関わっただけで、別れ際に連絡先も聞きませんでした。ところが、不審電話が頻繁に掛かるので、本人に気持ちを確認したいと思いました。結果、何度、手紙を書いても、一切返信は無く、一方で、連日の様に不審電話が掛かる状況に陥りました。

不審電話は、私が「こういう電話は止めて下さい」と手紙やメール書くと、それに「反応」したかのように、長い無言⇒無言⇒出た途端切る⇒ギリギリまで鳴らしきる⇒数回鳴らし切る⇒ワンギリのように電話の掛り方や頻度が変化して行ったため、手紙が届いていると思ってしまいました。

20年前からのストーカー嫌疑

そうした諸々の経緯で、独立された際に、直接接触を試みたところ、結果、ストーカー嫌疑を掛けられました。私と私の家族を激しく罵倒するメールが来たので、家族から「私では無いので、被害が有るなら警察へ行って下さい」とメールしました。しかし、私の家族へも、一切返信はありませんでした。

それで終わるかと思いましたが、その後も、私の方へ不審電話が途絶えることはありませんでした。不審電話には「特徴」があり、また、過去からの経緯と、やはり「出会った日」に掛かることから、不審には思いつつ、相手にも思いがあるのではと信じてしまいました。ですが、その後は、流石に「関わると危険」という認識があり、「終わった」ものとしていました。

今思えば、この時に、私が警察へ出向くか、弁護士に相談に行けば良かったかも知れません。この頃には、先方では、私はストーカー犯人になっていたようです。

職場の近隣での本人ライブ

ところが、暫くして、なぜか職場の近隣のオフィスビルで「本人の無料ライブ」が開催されました。私にストーカー嫌疑を掛けた人物の行動としては、極めて不可解です。困惑したものの、思い切って「事実確認」にライブに出向きました。この時も、残念ながら、本人に、直接、「私の職場がすぐ側であること」を知っているのか、なぜここでライブをやる事になったのかなど、事情は聞けませんでした。

その後も「事実確認」を試みましたが、埒が明かず、一方で、その後も、その場所で、私を目撃したにも関わらず、定例ライブを行う告知ポスターが、入口付近に掲載されたため、私の方は、それを機に、転職をしました

私の方は、不審電話が絶えることはなく、折々、会社宛に「不審電話」についてメールをしていました。会社宛であれば、スタッフか誰かから、必ず返信があると思ったからです。しかし、一切、返信はありませんでした。

直接、事務所へ出向けば、今回の事件のような事態が予想されます。弁護士や警察への相談も、民事的な「紛争」が想定されます。穏便な解決を求めれば、メールで問い合わせるしか方法がありませんでした。

職場の隣のホテルでの誕生日ライブ

前職の同僚だった方々に深刻な誤解を受けていると思われますので、こちらも記載致します。

その後、私は、汐留駅直結のビルにあるフランス系銀行に転職し多忙な日々を送っていましたが、再び、今度は隣のホテルで「本人のライブ」が行われるようになりました。ホテルの1階のカフェに毎日の様にランチに行っていましたが、入口に大きな顔写真入りのライブ告知ポスターが置かれるようになり、年末ライブはそのホテルで定例化しました。

私の誕生日は12月16日ですが、なぜか誕生日かその日の前後の土日が定例ライブの日程となっていました。また、当時は、夜中に非通知電話が連日掛かる状況になり、流石に、警察へも相談に行き、携帯の番号も変えました。

上記の本人ライブは、警察から伺った話では、私の職場の隣だとは知らなかったそうです。誕生日かその頃だったことも、偶然で、意図した訳では無いようです。これは真実だと思います。

ですが、私からすれば、私が「誤解」して、直接ライブへ出向くよう「誘導」するかのような意図を感じました。これは、いくら何でも、流石に異常ですし、直感的に「狙われている」と感じました。偶然でも接触すれば、今回の様な事態が想定され、不起訴になったからといって、一旦「社会制裁」同様の状況が起きれば、「人生崩壊」です。私にとっては、「虚偽告訴の脅迫」に近い状況となり、数年我慢しましたが、精神的に耐え切れず、音楽詐欺に遭ったこともあり、退職しました。

当時の同僚の方々には、「音楽活動」を理由にしました。ですが、その裏で、「虚偽告訴の脅迫」に近い状況がありました。数年後に復職する予定でしたが、上記の様な事情で、復職すれば「疑われる」でしょう。嫌疑が続く以上、ライブ会場を移動して頂かない限り、私は疑われます。「虚偽告訴の脅迫」状態では、復職も厳しいと思いました。

当時の同僚の方々は本当に良い方ばかりでした。きちんと誤解が解けたら、またカラオケなどご一緒頂ければと思っております。

不審電話の再開

2014年5月の退職後は、音楽活動を開始しましたが、HP上に連絡先を掲載すると、直後から、不審電話が再開しました。当時、セミナーが始まったので、直接本人に「事実確認」出来ないかと出向きました。大勢の前で「不審電話が掛かっていて事情を伺いたい」とは言えず、相手の状況も不明なため、スタッフにお菓子と一緒に連絡先を書いた手紙を入れた袋を渡すに留めました。すると、直後から、携帯への不審電話が再開しました。

結局、固定電話と携帯と、両方へ不審電話が掛かる状況が再発しました。携帯へは着信が残るので、頻度はかなり少なくなりましたが、固定電話の方は連日掛かって来ていました。

汐留の銀行への復職

その後、「南京大虐殺の真相」ブログを始め、これを本にしたいと思い、再就職し、銀行ローンを組もうと思いました。前職の銀行の上司が、復職する気になった「戻って来い」と言ってくれていたので、汐留の銀行への復職したいと思いました。私が汐留の職場に戻れば、「付き纏い」という話にされ兼ねません。そのため、要らぬ「疑い」が掛からぬよう、「事実確認」と「事情説明」が必要と思いました。

ですが、会社へはいくらメールしても、返信は一切来ないですし、明らかに「誰かが間に入って連絡をさせない」様な状況でしたので、致し方なく、本人に、直接、事実確認に行ったのが本当のところです。汐留のライブ会場を移動して頂くか、私の事情を認識した上で継続するか、兎に角、復職となっても、疑わないで欲しいと伝えたいと思いました。

また、当時も「日中戦争の真相」サイトを展開する予定でおり、今後の平和活動の前に、「深刻な誤解」があるようなので、自分の長年の嫌疑をきちんと晴したいと思いました。私の方には長年の不審電話のストーカー被害もありました。将来的な虚偽告訴のリスクも解消する必要があります。

諸々の問題解決のため、私の方から行動を起こしたところ、先方では、既に私がストーカーだということで、全員が「信じ切っている」状況となっており、私を装った営業妨害や、偽のストーカーメールも送られていたようで、そうした証拠で、全員が信じ切っていたようです。

誰にも信じて貰えませんでした

実際に「疑った方」に被害があったからでしょうが、私が犯人だと信じ切っていたようです。当然、弁護士も、警察も、完全に信じ切っており、私の事は全く信じず、「やっていない」と言えば、「嘘を吐いている」と言われました。

そのため、ああしたブログを掲載し、自分の無実を訴えるに至りました。尚、私の逮捕事由は、「ブログの一文」であり、「具体的な行為」ではありません。逮捕前に、警察の事情聴取は一切ありませんでした。送検後に、警察施設内で拘束の上、供述調書の作成となっています。何かを「信じ切っている」方々というのは、人の話を遮断するようになります。

私の言い分は、一切信じて貰えず、不起訴になっても、信じて頂けず、多分、今も信じていないようです。

ただ、現時点での、私の理解としては、「この事件の被害者」にも被害があり、「私にも同年数の被害」があったという事実です。双方に、相手にはストーカーなどやっていませんので、推定としては、別の「ストーカー真犯人」がいることになります。

東京地方検察庁では、私の被害供述を基に捜査頂き、結果、私は不起訴です。当然、私では無い「証拠」があるので、不起訴です。私ではありませんし、私も自分が送ったメールは保存してあります。「この事件の被害者」に送られたストーカーメールと、内容を付け合わせれば、「偽メール」が送られていたことは容易に判明します。

先方に送ったアドレスの作成者が誰かを調査すれば、真犯人は簡単に判明します。要は、「この事件の被害者」の事務所関係者で、事務所宛てのメール操作が出来る人物で、また、私の方の電話被害から「出会った日」を知っている人物となります。犯人が誰かはこれだけで十分に判明します。

今後について

何かを「信じ切っている」方々というのは、それ以外の話を聞かなくなることが多いです。検察庁で「不起訴」となっても、その「誤解」のために、その意味を正しく理解出来ない場合も起きます。

そのため、私の活動再開で、自分の名誉回復のため、私が自分の無実を訴えると、それを信じられない方々から、名誉棄損などで訴えるなどの事態が想定されます。結果、警察には、不起訴でも、私の無実を信じない方々もいますので、「再逮捕」になるかも知れません。

もちろん、検察では、次回も、確実に「不起訴」です。私の方は「私では無い根拠も証拠」もあります。ですが、信じ切っている方々には、認められないかも知れません。

そのため、「何も発信しない」のが最善かも知れませんが、ここまで全国規模で「虚偽情報」が拡散し、インターネット上にも、私を「容疑者」とする虚偽情報が多数散乱しております。

殆どの方々は、私のことなど気にも留めていないと思います。ですが、私には、かつての友人や、取り戻したい人間関係があります。その方々に一人一人連絡は出来ないので、この場を借りて、誤解を解く機会を作らせて頂きたいと思います。

そのため、私の方の被害状況がどうだったか記載致しました。

最後に

私は留学中、ある女性と大学の授業で一緒になり、足に大火傷を負って帰国になるまで、毎日1~2時間カフェや自宅でお茶をする程、親しい友人関係になりました。殆ど、離婚後の恋愛相談でしたが、過去の人に拘らず、自分を本当に愛せる人と幸せになって欲しいと思っていました。だから、過去の人に関わりました。彼女が、そのままだと、幸せになれないからです。

私のその思いは届かなかったですし、帰国後は一度も再会していませんが、当時、その友人は、私に毎日のように電話をくれる人で、毎日のようにお茶して笑いあった人でした。私が、そのような親密な友人関係を持てたのは、人生で、彼女が最初で最後です。一時期は、親友であり、姉のように心から慕っていました。

私は、一度深く心に刻んだ思いは消えないので、今も、心の奥には、当時、彼女と過ごした時間が、彼女への想いと共に、心温かい思い出として眠っています。自分の深過ぎる孤独が癒された貴重な時間でもありました。ですから、長い間、私の方は、本当は、いつか再会したいと思っていました。でも、私は知らずに憎まれていたようです。自分の想いとは裏腹に、憎まれていたという事実を、心で受け止めるのに、とても時間が掛かってしまいました。

 

今後は、活動を再開し、自分の歌唱法研究、歴史研究など、少しづつでも、世の中に情報発信して行きたいと思います。

大変お騒がせ致し本当に申し訳ございませんでした。
どうぞ宜しくお願い致します。